丹南藩
丹南藩 | |
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日语汉字 | 丹南藩 |
平假名 | たんなんはん |
罗马拼音 | Tannan-han |
创藩日期 | 元和9年(1623年)7月 |
创藩理由 | 转封 |
所在地 | 河内国丹南郡丹南 |
藩厅 | 丹南阵屋 |
大名家 | 高木家 |
伺候席 | 菊间,文化年间(1804年至1818年) |
人口 | 7,878人 |
废藩日期 | 明治4年7月14日(1871年8月29日) |
废藩理由 | 废藩置县 |
丹南藩(日语:丹南藩/たんなんはん Tannan-han */?)是日本河内国丹南郡丹南的藩[注 1],元和9年(1623年)7月创藩,明治4年7月14日(1871年8月29日)废藩,石高在高峰期达13,000石,藩厅是丹南阵屋,藩校是创建于明治元年(1868年)的丹南学校,人口是1,709户7,878人。武家屋敷方面,江户藩邸上屋敷曾经设于虎门内,中屋敷曾经设于麻布笄桥,下屋敷曾经设于麻布笄桥、南本所和青山长者丸[2][3][注 2]。
历史
[编辑]元和9年(1623年)7月,领有相模国、武藏国、上总国、下总国和近江国内约9,000石的大番头高木正次就任为大坂加番,获加增至10,000石[2][7],领地全数转移至河内国丹南郡内22村[8]。同年12月,正次在丹南村设置丹南阵屋[2]。
宽永8年3月11日(1631年4月12日),正次长子高木正成继位。宽永10年4月23日(1633年5月30日),正成获加增安房国安房郡和上总国周淮郡内3,000石,丹南藩的石高升至13,000石。宽永12年(1635年),正成长子高木正弘继位,他分知安房国安房郡和上总国周淮郡内3,000予其弟高木正好和高木正房。元禄11年12月(1699年1月),领地高松村、原寺村、丈六村和北村约1,660石被江户幕府收回[注 3],翌年2月2日(1699年3月3日)作为替地获下赐下野国足利郡4村以及河内国丹南郡2村约1,828石,藩主高木正陈在这时期变为定府大名[2][8]。
宝历8年5月9日(1758年6月14日),领地丹南郡伊贺村、河原城村、藤井寺村、冈村、小平尾村、平尾村和阿弥村约3,484石被江户幕府收回[注 4],同年10月21日(11月21日)作为替地获下赐河内国志纪郡东老原村、西老原村、丹北郡一津屋村、池内村、堀村、高木村、向井村、清水村和丹南郡北村约3,345石[2][1][注 5]。明和6年(1769年)2月,领地丹南郡内12村或22村爆发名为乡中骚动的一揆,22名庄屋中半数死在狱中,五人无罪,四人被流放,两人被免职以及罚款。安永元年11月21日(1772年12月15日),藩主高木正弼由于处理骚动不善而被暂停出仕[2][7][9]。
安永9年11月24日(1780年12月19日),若狭小滨藩藩主酒井忠与四子作为正弼养子而继位,即高木正直[2][7][10]。天明元年6月21日(1781年8月10日),上野小幡藩藩主松平忠福次子作为正直养子而继位,即高木正刚[2][7][11]。嘉永元年8月23日(1848年9月20日),美作津山藩藩主松平康哉之孙作为正刚养子而继位,即高木正坦[2][7][12]。万延元年12月(1861年1月或2月),领内爆发强诉[13]。庆应2年(1866年)5月,河内国国分村爆发一揆[注 6],丹南藩与邻近的藩一同出兵镇压。明治2年11月18日(1869年12月20日),高木守庸次子高木正善作为正坦养子而继位。明治4年7月14日(1871年8月29日),废藩置县[2][7]。
历任藩主
[编辑]家名 | 家格 | 名称 | 石高 | 领地 |
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高木家 | 谱代 阵屋 |
高木正次 | 10,000石 | 河内国丹南郡 |
高木正成 | 10,000石 ↓ 13,000石 |
河内国丹南郡 ↓ 河内国丹南郡安房国安房郡 上总国周淮郡 | ||
高木正弘 | 10,000石 | 河内国丹南郡 | ||
高木正盛 | ||||
高木正丰 | ||||
高木正陈 | 河内国丹南郡 ↓ 河内国丹南郡下野国足利郡 | |||
高木正恒 | 河内国丹南郡 下野国足利郡 | |||
高木正弼 | 河内国丹南郡 下野国足利郡 ↓ 河内国丹北郡、丹南郡和志纪郡下野国足利郡 | |||
高木正直 | 河内国丹北郡、丹南郡和志纪郡 下野国足利郡 | |||
高木正刚 | ||||
高木正明 | ||||
高木正坦 | ||||
高木正善 |
领地
[编辑]令制国 | 郡 | 领地 |
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河内国 | 丹南郡(23村) | 丹南村、太村、黑山村、阿弥陀寺村、 北余部村、南余部村、原寺村、北村、高松村、丈六村、北野田村、菅生村、平尾村、小平尾村、河原城村、 |
令制国 | 郡 | 领地 |
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下野国 | 足利郡 | 板仓村、五十部村、菅田村、助户村 |
河内国 | 志纪郡 | 西老原村、东老原村 |
丹南郡 | 北村、南余部村、太井村、北余部村、黑山村、野村、㭴山村、丹南村、西川村、菅生村、北野田村、东野村 | |
丹北郡 | 池内村、堀村、清水村、向井村、一津屋村、高木村 |
注解
[编辑]参考资料
[编辑]- ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、有坂隆道、小林博、作道洋太郎、藤本笃 (编). 丹南・高松・原寺・丈六・北〈堺市東区〉・伊賀・河原城・藤井寺・岡〈藤井寺市〉・小平尾・平尾〈堺市美原区〉・阿弥・東老原・西老原村・一津屋・池内・堀〈松原市〉・高木・向井〈松原市〉・清水〈松原市〉・国分〈柏原市〉. 角川日本地名大辞典 大阪府. 角川日本地名大辞典 27 日本文学Web図書館. 角川书店. 1983-10-08. ISBN 4-040-01270-4 (日语).
- ^ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 福岛雅藏. 丹南藩. 木村础、藤野保、村上直 (编). 藩史大事典 近畿編 5 POD版. 雄山阁. 2002-04-15: 255–262. ISBN 4-639-10039-6 (日语).
- ^ 3.0 3.1 东京都 (编). 二 帝都(一). 東京市史稿 市街編. 东京市史稿 49 (东京都). 1960-03-25: 611–612. 国立国会图书馆书志ID:000001226894 (日语).
- ^ 上屋敷 マップ. 人文学开放数据共同利用中心. [2024-09-05] (日语).
- ^ 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次 (编). 青山高樹町. 角川日本地名大辞典 東京都. 角川日本地名大辞典 13 日本文学Web図書館. 角川书店. 1978-10-27. ISBN 4-040-01130-9 (日语).
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- ^ 8.0 8.1 山口之夫. 丹南藩陣屋跡. 直木孝次郎、森杉夫、大月明、河音能平、田代克己、户田芳实、服部昌之、福岛雅藏、三浦圭一、山口之夫、吉田晶、胁田修 (编). 大阪府の地名. 日本历史地名大系 28 JapanKnowledge. 平凡社. 1986-02-07. ISBN 4-582-49028-X (日语).
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- ^ 高木正直. kotobank (日语).
- ^ 高木正剛. kotobank (日语).
- ^ 高木正坦. kotobank (日语).
- ^ 小林茂. 丹南藩. 国史大辞典编辑委员会 (编). 国史大辞典. 国史大辞典 9 JapanKnowledge (吉川弘文馆). 1988-09-30. ISBN 978-4-642-00509-8 (日语).
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- ^ 旧高旧領取調帳データベース. 国立历史民俗博物馆. [2024-08-28] (日语).